弟子の心得

2017/11/01

こんにちは。美枝です。

 

今日は、わたしが

お世話になっている

プロデューサーさんに

コンサルを受けてきました。

 

わたし自身、

プロデュース業に興味があるので、

コンサルを受けるのは

ある種の緊張感もあり

また楽しみでもあります。

 

わたしより若干年下なのですが、

非常に尊敬していて…

 

というか、

もはや尊敬というレベルではなく

なんといえばいいか……

 

自己啓発業界とかで軽々しく

「師匠」とか「メンター」とか

言いますけれども

わたしは、それが

とてもキライなので

したくないのです……

 

でも気持ちは、

 

ヨーダに教えを受ける

パダワン・スカイウォーカー

なんだなあ〜

 

あ!そうか!

 

わたしにとって、

マスターなんだわ!!

 

マスターって言っても

喫茶店のマスターでは

ございませんよ(笑)

 

ナウシカで言うと、

ユパさまですね(笑)

 

ドラゴンボールで言うと

亀仙人\(^o^)/

 

毎回、勉強することだらけで

今日も、脳ミソフル回転で

ヘトヘトです。

 

なので、自力で結論まで

書きあげるチカラが

今日は残っていません。

 

ヒットポイント残り5くらい。

 

なので、まとめは、これまた、

わたしが大尊敬していて

勝手に「自分の先生」と決めている

内田樹先生のお言葉を

そのまま、お送りします。

 

学ぶべきことがあるのはわかっているのだけれど、だれに教わったらいいのかわからない、という人は残念ながら「学力がない」人です。いくら意欲があっても、これができないと学びは始まりません。
 ここでいう「師」とは、別に学校の先生である必要はありません。書物を読んで、「あ、この人を師匠と呼ぼう」と思って、会ったことのない人を「師」に見立てることも可能です(だから、会っても言葉が通じない外国の人だって、亡くなった人だって、「師」にしていいのです)。街行く人の中に、ふとそのたたずまいに「何か光るもの」があると思われた人を、瞬間的に「師」に見立てて、その人から学ぶということでももちろん構いません。生きて暮らしていれば、至る所に師あり、ということになります。ただし、そのためには日頃からいつもアンテナの感度を上げて、「師を求めるセンサー」を機能させていることが必要です。

中略

「学ぶ(ことができる)力」に必要なのは、この三つです。繰り返します。
 第一に、「自分は学ばなければならない」という己の無知についての痛切な自覚があること。
 第二に、「あ、この人が私の師だ」と直感できること。
 第三に、その「師」を教える気にさせるひろびろとした開放性。
 この三つの条件をひとことで言い表すと、「わたしは学びたいのです。先生、どうか教えてください」というセンテンスになります。

 

 

全文はこちらで読めます。

学ぶ力 (内田樹の研究室)